自分自身の経験を積み重ねる事で色々と見えて来る事も多いのですが、他の方の言葉によって気がついたり教えられる事もまた多いです。
たまに読んでいるBlogで漫画家・山本貴嗣さんの「あつじ屋日記」。
その中の「人への苦言は…」は、同意出来る所がとても多く、また広く読んで頂ければと思いリンク致しました。
この日の日記の何が共感出来るって、若い時の自分の経験から得た事が糧になって今の考え方に結びついているということ。
失敗や過ちが尊い物だと言うのを自らの体験を通して言葉にされている。だからその言葉ひとつひとつに重みがあるのだと感じます。(でも高飛車で説教クサいとか、一方的に押し付けがましかったりとかせず、エンターティメント性があるのはさすが!と思います)
恥ずかしながら、私も若かりし時は「人は本当のことはなんであろうと受け入れるべきである」という信念でしたし、若さ故なのか周りもそういう友人が多かったです。熱意もあるし勢いもあるから、周りをみずに突き進んできました。
本当の信念というのはそういうものじゃないんですが。
そうして他人を責めると同時に、自分も責めてしまうという悪循環な結果ばかりになり、ようやくここ数年でそういう考え方から脱却して今に至ります。
そうなると人間関係もがらっと変わって、批判ばかりする人とは疎遠になり、寛容で穏やかな人が周囲には多くなりました。
そういえば、自分自身を見直してみれば失敗や過ちも色々と味わって来た、その経験だけは半端じゃなく積んでいるよねぇ‥‥‥って感じるのです。もちろん、なるべくそれを生かす形をとりたいと何に対しても思うようにして、行動しています。
今は特にネット世界で匿名でも実名でも他人のやってることを批判した者勝ちな風潮が強く、それによって失敗を恐れたり思った結果が出せない事は良く無い事だと思わせられたりで、生きにくいなと感じる事も多いですが、真摯に自分の道を作って行く事が一番大切だなと感じる事が多いです。
しいて言えば世の中に「これは失敗だ」と断定されるものはなく、本当の所は受け止め方次第だし、第一失敗や過ちのない人生なんてものを通過してる人はいない筈。(自分は失敗はしたことない、過った事はやってないと思い込む事は出来ますが)
私が尊敬するダラィ・ラマやマザー・テレサもたくさんの経験を積まれています。
犯罪がらみのこととなると単なる失敗では済まされませんが、人間は過ちを犯す生き物だと自覚する事でまた謙虚になれるとも思います。
自分は特定の宗教はやっていませんが(なり行き上、どうしても葬式やらは浄土真宗ですが)物事の真理というか宇宙原理というのはここ数年で気づかされてきて、それが自分の人生へ強く影響を与えています。
山本貴嗣さんの書かれている「色々なことに気づくにふさわしい時期」というのは2005年あたりからその予兆はありましたが、やっぱり2006年3月5日のロック(95%wolfdog)の死の後からでしょうか。
ロックは命を賭けて私の人生を変えてくれたのだと痛感します。
物事の受け止め方は変化があったとはいえ、聖人君子ではありませんのでどんな事に対しても受け入れたり同意する事はしません。もちろん我慢はしますが、人付き合いに置いては、むしろ嫌な場合は回避する事を心がけています。
前は他人への忠告もしてきましたが、たとえそこに相手への思いやりがあったとしても、自分の考え方を押し付けているに過ぎず、相手がそれを望んでいないのならば忠告は無用だと今は感じます。言っても判らない人に理解してもらおうなんてやっぱりそれは傲慢で単なる自己満足にしかならないと思うのです。
ただし、理不尽な目に遭えば自分の考えは相手にしっかりと伝えるようにはします。
相変わらず怒る事もあれば、愚痴る事もありますが‥‥出来るだけ他人を責めず、自分を責めずで人生を楽しく充実して生きられるように少しでも努力しなきゃと改めて感じました。
たまに読んでいるBlogで漫画家・山本貴嗣さんの「あつじ屋日記」。
その中の「人への苦言は…」は、同意出来る所がとても多く、また広く読んで頂ければと思いリンク致しました。
この日の日記の何が共感出来るって、若い時の自分の経験から得た事が糧になって今の考え方に結びついているということ。
失敗や過ちが尊い物だと言うのを自らの体験を通して言葉にされている。だからその言葉ひとつひとつに重みがあるのだと感じます。(でも高飛車で説教クサいとか、一方的に押し付けがましかったりとかせず、エンターティメント性があるのはさすが!と思います)
恥ずかしながら、私も若かりし時は「人は本当のことはなんであろうと受け入れるべきである」という信念でしたし、若さ故なのか周りもそういう友人が多かったです。熱意もあるし勢いもあるから、周りをみずに突き進んできました。
本当の信念というのはそういうものじゃないんですが。
そうして他人を責めると同時に、自分も責めてしまうという悪循環な結果ばかりになり、ようやくここ数年でそういう考え方から脱却して今に至ります。
そうなると人間関係もがらっと変わって、批判ばかりする人とは疎遠になり、寛容で穏やかな人が周囲には多くなりました。
そういえば、自分自身を見直してみれば失敗や過ちも色々と味わって来た、その経験だけは半端じゃなく積んでいるよねぇ‥‥‥って感じるのです。もちろん、なるべくそれを生かす形をとりたいと何に対しても思うようにして、行動しています。
今は特にネット世界で匿名でも実名でも他人のやってることを批判した者勝ちな風潮が強く、それによって失敗を恐れたり思った結果が出せない事は良く無い事だと思わせられたりで、生きにくいなと感じる事も多いですが、真摯に自分の道を作って行く事が一番大切だなと感じる事が多いです。
しいて言えば世の中に「これは失敗だ」と断定されるものはなく、本当の所は受け止め方次第だし、第一失敗や過ちのない人生なんてものを通過してる人はいない筈。(自分は失敗はしたことない、過った事はやってないと思い込む事は出来ますが)
私が尊敬するダラィ・ラマやマザー・テレサもたくさんの経験を積まれています。
犯罪がらみのこととなると単なる失敗では済まされませんが、人間は過ちを犯す生き物だと自覚する事でまた謙虚になれるとも思います。
自分は特定の宗教はやっていませんが(なり行き上、どうしても葬式やらは浄土真宗ですが)物事の真理というか宇宙原理というのはここ数年で気づかされてきて、それが自分の人生へ強く影響を与えています。
山本貴嗣さんの書かれている「色々なことに気づくにふさわしい時期」というのは2005年あたりからその予兆はありましたが、やっぱり2006年3月5日のロック(95%wolfdog)の死の後からでしょうか。
ロックは命を賭けて私の人生を変えてくれたのだと痛感します。
物事の受け止め方は変化があったとはいえ、聖人君子ではありませんのでどんな事に対しても受け入れたり同意する事はしません。もちろん我慢はしますが、人付き合いに置いては、むしろ嫌な場合は回避する事を心がけています。
前は他人への忠告もしてきましたが、たとえそこに相手への思いやりがあったとしても、自分の考え方を押し付けているに過ぎず、相手がそれを望んでいないのならば忠告は無用だと今は感じます。言っても判らない人に理解してもらおうなんてやっぱりそれは傲慢で単なる自己満足にしかならないと思うのです。
ただし、理不尽な目に遭えば自分の考えは相手にしっかりと伝えるようにはします。
相変わらず怒る事もあれば、愚痴る事もありますが‥‥出来るだけ他人を責めず、自分を責めずで人生を楽しく充実して生きられるように少しでも努力しなきゃと改めて感じました。
2008/07/31(木) | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(0)











